ずるいコミュニティ
と、まあ2ndの東京大会を開催する運びとなったのです
ここで色々な人達と出会うことができたのは非常に幸運であり、それだけでもイベントをやった意味はあったと思います
ざっと名前を挙げるだけでも
ゲーメストライター(主に読者ページ担当)であるM2女史をはじめとするNBS
当時関東勢が主に活用していた掲示板管理人のふるぴさん
ボスの師匠ちょんと率いるUBI
仙台や神奈川のプレイヤー
オフィシャルバイソンにして、第1回3rd全国主催の若松組長
そして現渋スポ店長の遠山さんに、VFtv.の中の人・深見さん
こうした人達とは今でも連絡を取ったり助けてもらったりしていて、本当にありがたいことです
また、この大会は約100人の参加者と若干のギャラリーがいて、ストⅢが東京圏だけでこんなにも人がいるということに驚きました
こうして大会は総ナメ、野試合も座りっぱなしの「ずるいコミュニティ」メンバーは本人達の意思とは関係無く、徐々に勢力を拡大していきます
インターネットの普及もあり、数少ないストⅢプレイヤーのほとんどに名前を知られる程度にはなってきた1999年
ストⅢ2ndFINALイベントと銘打った都市対抗戦を最後に、プレイヤーは3rdへ移行していきます
3rdはちょうど他に新作の無い時期に発表されたり、ゲーメストでかなり良い紹介をされていたため、2ndからは考えられないほどの新規プレイヤーがいました
その中には、前述の梅様やセイバー勢・ZERO3勢など多くのカプコンゲーマー、そしてリキをはじめとするkofプレイヤー(JASPA勢という方が正確かな)までが混在していました
遂にチャンスが巡ってきたと思ったわけです
ここで他ゲー勢にうまくアピールできればストⅢが日の目を見ることもできる、と
しかし自分がそうであったように、情報格差だけでボコボコにされてしまっては新規プレイヤーはやめてしまう
それを防ぐためには質の高い攻略と情報の共有が必要
こうして自分達もまだよくわかっていないゲームの攻略が始まりました
2nd最終期にNBSで作った攻略本があります(二段仕込み 匠)
本来中期には出るはずだったので攻略の度合いに個人差はありましたが、かなりの内容量でした
3rdの調整時にこれをカプコンに送ったりしていたので、まずは前作との比較
「ユンの強かったトコ全部弱くなっとる」って半年以上思ってたのも懐かしい話です(まあ、実際かなり弱くはなってますが)
吉祥寺のロケテスト当時から春麗の屈中K→鳳翼はあり、通常技による鉄壁さもわかっていたため、今回のショーンはこいつに決まり(当時の感覚で超強いってことです)
また、2ndで「螳螂が反撃されなかったら強いね」と話してたら反撃されなくなってたヤンが、やっぱり強い
そんな感じで、前作のキャラ情勢と比較することが多かったのです
また、ゲーメスト編集部に知り合いができたこともあり、実戦で感じたことを、記事に使ってもいいという条件で検証してもらったりもしてました(こちらとしては願ったり叶ったりですが、先方は色々気にしてたみたいです)
以前書いた移動投げの話もこのあたりです
ラキラ主導で最初の攻略本を作ったのが発売から3ヶ月
夏コミってものに売り子として初参加しました
個人的な事情もあり、なかなか楽しかった気がしますが、今考えてもただの浮かれポンチでした
若松さんに10枚売り付けたりして、めでたく完売だったかと
締め切りに関しては前回に続きRyo-chinさんだけが優秀でした(笑)
個人的にはこのあたりからGCNの立ち上げ・ランバトのリニューアル・他ゲームのイベント協力なんかが立て続けにあり、プレイヤーとしてよりイベント主催者としての方がメインになりつつありました
そして、今回もゲーメスト杯はないという裏情報(ってほどでもないですが)を入手した秋頃前述の若松さんと・・・
「全国大会だって自分でできないとは限らないんじゃないかな」
続く
全3話予定(次回最後)です
長すぎたw
これでもかなり削ってますが、やっぱりじじいの昔話は長くなりがちですね
展開もオチも考えてないんで更新は遅くなると思いますが気長にお待ち下さい
なにぶん10年前の記憶なので、誤情報などご指摘あれば修正かけます
ここで色々な人達と出会うことができたのは非常に幸運であり、それだけでもイベントをやった意味はあったと思います
ざっと名前を挙げるだけでも
ゲーメストライター(主に読者ページ担当)であるM2女史をはじめとするNBS
当時関東勢が主に活用していた掲示板管理人のふるぴさん
ボスの師匠ちょんと率いるUBI
仙台や神奈川のプレイヤー
オフィシャルバイソンにして、第1回3rd全国主催の若松組長
そして現渋スポ店長の遠山さんに、VFtv.の中の人・深見さん
こうした人達とは今でも連絡を取ったり助けてもらったりしていて、本当にありがたいことです
また、この大会は約100人の参加者と若干のギャラリーがいて、ストⅢが東京圏だけでこんなにも人がいるということに驚きました
こうして大会は総ナメ、野試合も座りっぱなしの「ずるいコミュニティ」メンバーは本人達の意思とは関係無く、徐々に勢力を拡大していきます
インターネットの普及もあり、数少ないストⅢプレイヤーのほとんどに名前を知られる程度にはなってきた1999年
ストⅢ2ndFINALイベントと銘打った都市対抗戦を最後に、プレイヤーは3rdへ移行していきます
3rdはちょうど他に新作の無い時期に発表されたり、ゲーメストでかなり良い紹介をされていたため、2ndからは考えられないほどの新規プレイヤーがいました
その中には、前述の梅様やセイバー勢・ZERO3勢など多くのカプコンゲーマー、そしてリキをはじめとするkofプレイヤー(JASPA勢という方が正確かな)までが混在していました
遂にチャンスが巡ってきたと思ったわけです
ここで他ゲー勢にうまくアピールできればストⅢが日の目を見ることもできる、と
しかし自分がそうであったように、情報格差だけでボコボコにされてしまっては新規プレイヤーはやめてしまう
それを防ぐためには質の高い攻略と情報の共有が必要
こうして自分達もまだよくわかっていないゲームの攻略が始まりました
2nd最終期にNBSで作った攻略本があります(二段仕込み 匠)
本来中期には出るはずだったので攻略の度合いに個人差はありましたが、かなりの内容量でした
3rdの調整時にこれをカプコンに送ったりしていたので、まずは前作との比較
「ユンの強かったトコ全部弱くなっとる」って半年以上思ってたのも懐かしい話です(まあ、実際かなり弱くはなってますが)
吉祥寺のロケテスト当時から春麗の屈中K→鳳翼はあり、通常技による鉄壁さもわかっていたため、今回のショーンはこいつに決まり(当時の感覚で超強いってことです)
また、2ndで「螳螂が反撃されなかったら強いね」と話してたら反撃されなくなってたヤンが、やっぱり強い
そんな感じで、前作のキャラ情勢と比較することが多かったのです
また、ゲーメスト編集部に知り合いができたこともあり、実戦で感じたことを、記事に使ってもいいという条件で検証してもらったりもしてました(こちらとしては願ったり叶ったりですが、先方は色々気にしてたみたいです)
以前書いた移動投げの話もこのあたりです
ラキラ主導で最初の攻略本を作ったのが発売から3ヶ月
夏コミってものに売り子として初参加しました
個人的な事情もあり、なかなか楽しかった気がしますが、今考えてもただの浮かれポンチでした
若松さんに10枚売り付けたりして、めでたく完売だったかと
締め切りに関しては前回に続きRyo-chinさんだけが優秀でした(笑)
個人的にはこのあたりからGCNの立ち上げ・ランバトのリニューアル・他ゲームのイベント協力なんかが立て続けにあり、プレイヤーとしてよりイベント主催者としての方がメインになりつつありました
そして、今回もゲーメスト杯はないという裏情報(ってほどでもないですが)を入手した秋頃前述の若松さんと・・・
「全国大会だって自分でできないとは限らないんじゃないかな」
続く
全3話予定(次回最後)です
長すぎたw
これでもかなり削ってますが、やっぱりじじいの昔話は長くなりがちですね
展開もオチも考えてないんで更新は遅くなると思いますが気長にお待ち下さい
なにぶん10年前の記憶なので、誤情報などご指摘あれば修正かけます
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懐古厨
闘劇魂にあった「ずるいコミュニティ」の話
まあ、当時そんな自覚があったわけでもなく、意外な感じだったので10年も前の記憶を掘り起こしてみました
2ndの頃、対戦台が稼動しているのを探すのも苦労する程マイナーだったストⅢですが、
終期にはゲーメストでやけに高評価だったり、ちょっと大きめなイベントやったりできるくらいにはなっていました
そこにはこのコミュニティの地道な努力があったのです
話は更に遡り、セイバーやZERO2の頃
今でこそ誰もが知る超有名人、ウメヌキや取り巻き(当時はこういう認識だった)にボコられ、発売当初は勝てるのに時期が経つと勝てなくなる理由を考えてみたわけです
「環境の差」
これが僕の結論でした
レベルの高い対戦相手がいない
ネット環境の浸透していない時代、負けることの無い地元対戦しかできない奴は真に強くなることはできないと思ったのです
今なら色々な考え方もできるでしょう
しかし、当時の天然無調整ゲーム達は、一つネタを知らないだけで地獄送りになるため、情報は最重要だったのです
新しいタイトルがすぐに出ることも要因だったでしょうか
まあ、そんなこんなで対戦相手が欲しかったんです(笑)
ただ現在のように、みんなが大きいコミュニティの一員みたいな状況ではなく「あいつは俺が絶対倒す」みたいな空気があったので、既存の勢力(←笑うとこです)にへつらったりする選択肢は、少なくとも僕にはありませんでした
前置きが長くなりましたが、こうして自分が強くなるために自分を倒せる相手を作るという計画が始まりました
常連として通っていたニュートンで世代を越えて話をしたり(当時の殺伐としたゲーセンでこれはかなり勇気の要ることでした)強いプレイヤーがいると噂の店を探してみたりしました
結果はまあ、世の中そんなに簡単にはできてないなぁ、という(笑)
年は過ぎ、ニュートンでのアルバイトにも慣れてきた頃、その時はやってきました
いつものようにストⅢで一人用を済ませた後、話し掛けてくる中学生がいました
見たことくらいはあるお客さんの一人です
「中大ポンからゴロゴロするのってどうやってるんですか?」
中PTCから転身穿弓腿のことでしょう
1stでは4割くらい減ったので子供には衝撃だったのかもしれません
「中大ポンからグルグル回すんだよ」と、今考えると頭に障害を抱えた人みたいな受け答えをした記憶があります
これがメスターとマッチの初接触でした
当初は一緒にゲームするようなつもりはなく、バイト中の暇潰しと自分の攻略を確認するような意味合いで教えていました
程なく2ndが発売となり、初めて負けたのも稼動から半年後ということからもおわかりいただけるでしょう
当時はそのマッチと、同じマンションに住んでいたアイスマンという2人に教えながら2ndのゲーメスト杯を心待ちにしていたものです
1stの頃より更に積極的に遠征し、ツテを辿りBET50の有名人(ゲーメスト杯上位のネクロ使いやスキルスミスのGON氏など)と知り合ったりもしました
2ndのゲーメスト杯がなさそうということに気がついたのもその頃です
正直困惑しました
当時カプコンの格ゲーと言えば、オフィシャルか新声社の全国大会があるのは必然で、それが終わって初めて次のタイトルに移行するという流れが出来上がっていたのですから
「無いならやってしまえばいい」
自らの最強を示すという下品な発想ではありましたが、そうして現在まで10年続いている
ニュートンのランキングバトルは始まりました
しかし、当然ながら参加者は集まりません
志村三丁目などというマイナー駅の1ゲーセンに、突然来る人がいるわけないのです
宣伝が必要だ、というわけで現松田オーナーの奥さんにポスターを作ってもらい、色んな店の大会(主にG-MODDLというゲーメスト直営店)で告知しまくりました
話は逸れますが、この店禁煙ゲーセンということで個人的に大好きでしたが、新声社と一緒になくなってしまいました・・・
まあ、そんなこんなでシャオやにくきゅう(もう知らない人も多いのかな)なんかも来てくれるようになり、毎週10人くらいが参加してくれるようになったある日、
「KSKinmind」という衝撃的な名前の大男がニュートンの大会に現れたのです
挙動不審且つ話好きなその男の話を総合すると
・前日に関西大会というものに関東から招待選手として参加してきた
・インターネットというもので情報を探すと大会も見つけやすい
・次の週にスポット21という新宿の大会がある
・東京大会というものを企画したい
というものでした
偶然にも東京大会というものの企画を考えていたため意気統合して、「来週新宿で話を詰めよう」となりました
こうして「ずるいコミュニティ」の主なメンバーが揃ったのです
続く
他のでもそうですが、名前出ててヤダナって思ったらメールなりコメントなり下さい
削除・修正します
まあ、当時そんな自覚があったわけでもなく、意外な感じだったので10年も前の記憶を掘り起こしてみました
2ndの頃、対戦台が稼動しているのを探すのも苦労する程マイナーだったストⅢですが、
終期にはゲーメストでやけに高評価だったり、ちょっと大きめなイベントやったりできるくらいにはなっていました
そこにはこのコミュニティの地道な努力があったのです
話は更に遡り、セイバーやZERO2の頃
今でこそ誰もが知る超有名人、ウメヌキや取り巻き(当時はこういう認識だった)にボコられ、発売当初は勝てるのに時期が経つと勝てなくなる理由を考えてみたわけです
「環境の差」
これが僕の結論でした
レベルの高い対戦相手がいない
ネット環境の浸透していない時代、負けることの無い地元対戦しかできない奴は真に強くなることはできないと思ったのです
今なら色々な考え方もできるでしょう
しかし、当時の天然無調整ゲーム達は、一つネタを知らないだけで地獄送りになるため、情報は最重要だったのです
新しいタイトルがすぐに出ることも要因だったでしょうか
まあ、そんなこんなで対戦相手が欲しかったんです(笑)
ただ現在のように、みんなが大きいコミュニティの一員みたいな状況ではなく「あいつは俺が絶対倒す」みたいな空気があったので、既存の勢力(←笑うとこです)にへつらったりする選択肢は、少なくとも僕にはありませんでした
前置きが長くなりましたが、こうして自分が強くなるために自分を倒せる相手を作るという計画が始まりました
常連として通っていたニュートンで世代を越えて話をしたり(当時の殺伐としたゲーセンでこれはかなり勇気の要ることでした)強いプレイヤーがいると噂の店を探してみたりしました
結果はまあ、世の中そんなに簡単にはできてないなぁ、という(笑)
年は過ぎ、ニュートンでのアルバイトにも慣れてきた頃、その時はやってきました
いつものようにストⅢで一人用を済ませた後、話し掛けてくる中学生がいました
見たことくらいはあるお客さんの一人です
「中大ポンからゴロゴロするのってどうやってるんですか?」
中PTCから転身穿弓腿のことでしょう
1stでは4割くらい減ったので子供には衝撃だったのかもしれません
「中大ポンからグルグル回すんだよ」と、今考えると頭に障害を抱えた人みたいな受け答えをした記憶があります
これがメスターとマッチの初接触でした
当初は一緒にゲームするようなつもりはなく、バイト中の暇潰しと自分の攻略を確認するような意味合いで教えていました
程なく2ndが発売となり、初めて負けたのも稼動から半年後ということからもおわかりいただけるでしょう
当時はそのマッチと、同じマンションに住んでいたアイスマンという2人に教えながら2ndのゲーメスト杯を心待ちにしていたものです
1stの頃より更に積極的に遠征し、ツテを辿りBET50の有名人(ゲーメスト杯上位のネクロ使いやスキルスミスのGON氏など)と知り合ったりもしました
2ndのゲーメスト杯がなさそうということに気がついたのもその頃です
正直困惑しました
当時カプコンの格ゲーと言えば、オフィシャルか新声社の全国大会があるのは必然で、それが終わって初めて次のタイトルに移行するという流れが出来上がっていたのですから
「無いならやってしまえばいい」
自らの最強を示すという下品な発想ではありましたが、そうして現在まで10年続いている
ニュートンのランキングバトルは始まりました
しかし、当然ながら参加者は集まりません
志村三丁目などというマイナー駅の1ゲーセンに、突然来る人がいるわけないのです
宣伝が必要だ、というわけで現松田オーナーの奥さんにポスターを作ってもらい、色んな店の大会(主にG-MODDLというゲーメスト直営店)で告知しまくりました
話は逸れますが、この店禁煙ゲーセンということで個人的に大好きでしたが、新声社と一緒になくなってしまいました・・・
まあ、そんなこんなでシャオやにくきゅう(もう知らない人も多いのかな)なんかも来てくれるようになり、毎週10人くらいが参加してくれるようになったある日、
「KSKinmind」という衝撃的な名前の大男がニュートンの大会に現れたのです
挙動不審且つ話好きなその男の話を総合すると
・前日に関西大会というものに関東から招待選手として参加してきた
・インターネットというもので情報を探すと大会も見つけやすい
・次の週にスポット21という新宿の大会がある
・東京大会というものを企画したい
というものでした
偶然にも東京大会というものの企画を考えていたため意気統合して、「来週新宿で話を詰めよう」となりました
こうして「ずるいコミュニティ」の主なメンバーが揃ったのです
続く
他のでもそうですが、名前出ててヤダナって思ったらメールなりコメントなり下さい
削除・修正します
ハイジャンプキャンセル
千葉最強白アレクに作成してもらった家庭用お遊び対戦でのHJC実戦例。
2回使用しています。
いまいち感覚がつかめない人は参考にどーぞ。
実際のところダッドリーはショートスイングを使えばいいので必要ない(笑)
2回使用しています。
いまいち感覚がつかめない人は参考にどーぞ。
実際のところダッドリーはショートスイングを使えばいいので必要ない(笑)
闘劇直後
梅園神の賞金提供で祝勝会やりました
前回松田君に飲み誘われて断っちゃったんで、その埋め合わせのつもりで元々行こうと考えてたんだけど、関西勢12人・関東4人だったんで祝勝会ってことでw
ちなみにほとんどの人が面識なかったであろう関東人はアサヒ君(通称カニ)です
なぜか多めにお支払いなので、みんな感謝して
件の「しょうたろう君」もいたのでお話させていただいたところ、認識を改めていただけたようで何よりでした
ちんた君はまだ誤解されてるような気がするので、次も修正したいと思います
ちなみに、その後対戦でやられたのも覚えときます
そんなこんなで闘劇3日目は、マッソがアルカナ3回戦死亡で終了
→大山ニュートンにてシロイタチやら沖縄勢でワイワイ…してたと思う
結構早めに落ちて、気が付いたらイタチはいなくなってた(笑)
覇者はMOVのシビアさに驚愕してた
それでも心を折りに行くあたり相変わらずだと思ったり。
前回松田君に飲み誘われて断っちゃったんで、その埋め合わせのつもりで元々行こうと考えてたんだけど、関西勢12人・関東4人だったんで祝勝会ってことでw
ちなみにほとんどの人が面識なかったであろう関東人はアサヒ君(通称カニ)です
なぜか多めにお支払いなので、みんな感謝して
件の「しょうたろう君」もいたのでお話させていただいたところ、認識を改めていただけたようで何よりでした
ちんた君はまだ誤解されてるような気がするので、次も修正したいと思います
ちなみに、その後対戦でやられたのも覚えときます
そんなこんなで闘劇3日目は、マッソがアルカナ3回戦死亡で終了
→大山ニュートンにてシロイタチやら沖縄勢でワイワイ…してたと思う
結構早めに落ちて、気が付いたらイタチはいなくなってた(笑)
覇者はMOVのシビアさに驚愕してた
それでも心を折りに行くあたり相変わらずだと思ったり。
闘劇
お疲れ様でした。
今まで大きい大会はずっと梅園さんと組んで出て
二人で悔しい思いをしましたが、ようやく優勝出来て本当に嬉しいです。
思えば去年、いつものように・・まあ梅園さんに誘われて
後の一人もいつものごとく梅園さんが勝手に見つけてきて
そしてそれがシロイタチさんだったんですが
「俺イタチさんと全然面識無いし、微妙だなぁ・・」とか思っていた。
イタチさんはなぜか常に怖い顔してるから
チームメイトなのに横にいると無駄に緊張した記憶も・・。(今だから言えるけどw)
でも今年はイタチさんとも仲良くなって
同じノリ勢だから気もあって、一緒に練習したり飲みに行ったり
関西で組んだこのメンバーで優勝出来て本当に嬉しい。
これからもみんなで3rdを続けていきたいです。
今まで大きい大会はずっと梅園さんと組んで出て
二人で悔しい思いをしましたが、ようやく優勝出来て本当に嬉しいです。
思えば去年、いつものように・・まあ梅園さんに誘われて
後の一人もいつものごとく梅園さんが勝手に見つけてきて
そしてそれがシロイタチさんだったんですが
「俺イタチさんと全然面識無いし、微妙だなぁ・・」とか思っていた。
イタチさんはなぜか常に怖い顔してるから
チームメイトなのに横にいると無駄に緊張した記憶も・・。(今だから言えるけどw)
でも今年はイタチさんとも仲良くなって
同じノリ勢だから気もあって、一緒に練習したり飲みに行ったり
関西で組んだこのメンバーで優勝出来て本当に嬉しい。
これからもみんなで3rdを続けていきたいです。
狼豚マッチ
~狼豚マッチ~
結果をこのブログにアップすることを前提にした死愛:民名書房
1試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 2-1 KO
マッチ 0-2 MOV
メスター0-2 MOV
ラオウ 0-2 MOV
勝ち
2試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 0-2 KO
メスター0-2 KO
ラオウ 1-2 KO
勝ち
3試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 0-2 ボス
メスター0-2 ボス
ラオウ 0-2 ボス
勝ち
結果をこのブログにアップすることを前提にした死愛:民名書房
1試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 2-1 KO
マッチ 0-2 MOV
メスター0-2 MOV
ラオウ 0-2 MOV
勝ち
2試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 0-2 KO
メスター0-2 KO
ラオウ 1-2 KO
勝ち
3試合目「ニュートン」VS「LAST BOSS」
マッチ 0-2 ボス
メスター0-2 ボス
ラオウ 0-2 ボス
勝ち